2004年12月“陽だまりハイク” 12/5(日)山口県・萩往還道を歩く 2003年3月30日東鳳翩山・萩往還道のレポ 萩往還は、慶長9年(1604)萩城築城後、殿様の「お成り道」として開かれ、 城下町「萩」から瀬戸内海の港「三田尻」(防府市)に至る全長約53kmの街道です。 慶長9年(1604)より明治の中頃までの300年間、参勤交代や維新の志士達が江戸へ、 また飛脚や庶民など多くの人が行き交い、歴史上重要な役割を果たした道を 保存整備したものだそうです! 今回は、「明治維新胎動の地」吉田松陰誕生の地から伊藤博文別邸を訪ね、 はるか昔、幕末の志士達の鼓動に思いを馳せながら歩いてきました。 地元の観光ボランティアの方の説明を聞きながら下記のコースを歩く。 萩城跡→吉田松陰生誕地→伊藤博文別邸→東光寺→唐樋札場跡→涙松の遺跡→道の駅萩往還公園 →明木市の町並み(松蔭詩碑)一升谷の石畳→佐々並市の町並み→首切り地蔵→板坂堂
12/11(土)広島県呉市・灰ケ峰(737m) 呉市内にある9つの峰の中で一番高い独立峰が灰ケ峰! かつては呉市街防衛を目的として旧海軍の高射砲台が、ここに設置されていたとか・・・ 周辺地図リンク 今回は山仲間7名と車で、三原→須波→185号線を走り、呉のメインストリートを北上し 峠に近い西畑のバス停から横道に入り、平原の変電所を目当てに車を走らせる。 「灰ケ峰登山道」の小さな標識を見て右にそれ、進んでいくと車を止めるスペースがあり そこに駐車して登山開始!! 呉の市街を見下ろしながら七曲と言われる登山道を登っていくと 沢山の桜が植林されていて、春にはさぞや綺麗だろうなといいながら歩く。 谷を上り詰めると車道と交差し、展望台からは呉の市街が眺められる。 倉橋、能美、蒲刈の島々なども見渡せる! 夜景がとっても綺麗なんだろうな〜〜
12/11(土)広島県加茂郡黒瀬町・小田山(719m) 灰ケ峰をお昼過ぎに下りてきた我々は、次の山・小田山(こたさん)を目指して R34から加茂郡黒瀬町まで戻った! 前方に大きな小田山が見え、高いクレーンのある工場の手前を右に入る。 4〜5台は駐車出来るスペースがありそこに駐車して登山開始!! この山は松茸山で、9月25日から11月5日までは入山禁止だそうだ。 やがて展望が開け、最初の鉄塔に出合う。 ここから徐々に急登となり、樹林帯の道を息を喘ぎながら登っていく。 何も展望が無いので余計に苦しい〜〜 山頂は全く展望な〜し! 周辺地図リンク
12/15(水)岡山県高梁市・秋葉山(591m) 周辺地図リンク 本日は、K先生と仲間11名と青春切符でJR山陽本線、JR伯備線と乗り継ぎ JR方谷駅から登り、JR備中川面駅に降りるコースを歩く。 秋葉山(あきばさん)は吉備高原上防地方の最高峰で高梁市に位置する。 JR伯備線方谷(ほうこく)駅は、日本で唯一の人名からつけられた名前だそうです。 備中松山藩の財政改革をした山田方谷は、7年で赤字を立て直した手腕を買われ 明治新政府に望まれたのですが、大勢の前に立つのを嫌って断ったので人から忘れられたそうです。 でも今・・・財政改革に苦しむ日本において、山田方谷がクローズアップされているとの事です。 たまたまあの日降りたった・・・小さな駅のいわれ・・・旅は楽しいね! (この山田方谷と言う人のことは、mintさんが後日テレビで放映されたと話してくれました)
出発点から大松までが山道らしい雰囲気であったが、あとは林道や自動車道が主だった。 それでも久し振りに自然に囲まれ歩いて気持ちが良い!! K先生からお花や実、木について色々説明聞きながらとっても楽しい陽だまりハイク!! K先生から沢山教えて貰ったけれど、ほとんど忘れちゃいました。 mintさんも参加出来て良かったね〜ん(^^ゞ 最後の民家のある大松からは、遥かかなた吉備高原まで見渡せました。 そうしてその家の畑の石垣には、エビネが自生していました。
秋葉山の北側(中井町側)は急峻で、南側がややなだらかな標高591mの 中生代の流紋岩が基盤となった大きな山で・・・ 頂上付近には、火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)を祭神とする秋葉宮が鎮座していました。 古くから地域の人々が秋葉講をつくって、山岳修験による火 伏・鎮火の神として祭りを行い、 多くの民 衆の信仰を集めていたそうです! 下山途中、なんと大山(伯耆富士)が見えました |