名城跡と山懐の古刹を訪ねて・・・
高 取 山 (583.9m)


2005.4.3 (日)  


地図リンク

2月14日に腰を痛めて以来、皆さんのレポをウズウズしながら
拝見していたカラッチにもやっと山歩き出来る日がやってきた。
が・・・しかし、数日前の天気予報でもこの日はどうやら全国的に傘マーク
雨を覚悟での出発となった!
朝5時に出発し、奈良県高市郡高取町に着いたのが10時半になった。




今日の高取山は、腰痛上がりのカラッチに丁度よいウオーキングコースのようだ。
まずは、高取町の西国三十三箇所第6番札所・・・南法華寺(壺坂寺にお参りし・・・
PC疲れのカラッチの目・・・眼病封じの祈願しました。
もちろん皆さんの眼病封じも祈願して・・・本当かな?(笑)
それでは壷坂寺から歩くことにしましょ〜



南法華寺(壷坂寺)全景

南法華寺(壷坂寺) 南法華寺(壷坂寺)三重塔 まよけ橋
壷坂寺は、アジア・アフリカ国際奉仕財団
を設立、その活動の一環として・・・
インドのハンセン氏病患者救済事業を
積極的に進めている。
その功績がインド政府に認められ、
国外不出の六億年昔の花崗岩の
古石の持ち出しが認められた。

この石を使い、現地で大観音を彫り、
それを六十体に分割してわが国に持ってきた。
延べ八万人の日本とインドの石工によって、
四年七か月の歳月をかけて彫られました。
高さ二十メートルに及ぶこの観音像は、
(左の画像)
寺の横の小山の上に立ち、
大和の地を見下ろしている。


眼病封じ祈願 釈迦の生涯を描いたレリーフ 高さ二十メートルの観音像と涅槃像

壷坂観音霊験記」という浄瑠璃で有名な・・・
盲目の夫・沢市と、その沢市に献身的な愛情を捧げた妻・お里の物語!
強い愛情で一心に祈った妻の心が神仏に通じ、夫の目が見えるようになった・・・
まるでカケスとカラッチの夫婦愛のようではありませんか〜 ( ・_ ・)ん?



こうした伝説から高取町は薬の町として栄え、
高取の薬行商人たちは「大和の薬売り」の名で親しまれました
また壷坂寺には、目の不自由な人のための特別老人養護ホームがあるそうだ!


壷坂寺から五百羅漢を過ぎた辺りから本格的な山道となり・・・
石仏群を見ながら登っていくと、高取城址がある。

高取城跡へ・・・ 五百羅漢(香高山摩崖仏)
壺坂寺の奥の院、香高山にある石仏群
両界曼陀羅
十一面尊や五社明神等が整然と並んでいます
少し急な道となった! 一升坂を越えて・・・ 高取城跡に向かってる時の一枚


謎の石像“猿石”に見守られる日本一の山城・・・高取城(かきあげ城)
高取城は、今を溯ること約670年前、中世南北朝時代、大和高市一帯を治める
豪族・越智一族が、標高583mの高取山の頂に砦のような城を築いたのが始まりと言われている。
山頂を引きならして曲輪(くるわ)をつくる。
※  曲輪 (城・砦など、一定の区域の周囲に築いた土や石の囲い)
尾根筋に沿って幾段もの曲輪が連なり、要所要所に堀割が作られ守りとなっている。
恒久的な軍事施設はなく、立派な櫓・天主もない自然の地形に多少の工作を加え
敵を防ぐ形態の城を・・・かきあげ城と呼ぶ。
吉野方面との連携を図ることが当時の使命であり、非常の場合・・・
軍事権を持つ惣領が一族・郎党を引き具し、ここにたてこもったそうだ!

670年前、機動力のない時代に、こんな高い所によくぞ築いたものだ。
それでは、高取城の見事な石組みをご覧下さ〜い!

壺坂口中門跡 見事な石組み!
本丸跡に続く・・・石組み 大手門跡
十三間多門跡 石組みの高さがわかるでしょ〜
高取城址 本丸についての奈良県教育委員会の説明

近畿地方有数な規模を誇る山城だったようで・・・
その石積み、基礎石から往時の隆盛がしのばれました。

高取山山頂(583.9m) 本丸跡から吉野・大峰の山々が一望出来るそうだが
お天気が今ひとつで見えましぇ〜ん!
猿石に向かって・・・ 猿石
二ノ門外、城下町に下る大手筋と岡田門の分岐にあり
郭内と城内の境目を示す「結界石」ではないかと言われている


ここの山桜はまだ固い蕾であったが・・・
桜の咲く頃や、楓の紅葉の頃には素晴らしいであろう〜
山懐の自然豊かな高取町・・・壷坂寺の観音像の慈愛に満ちた笑みに抱かれ
優しさに満ち溢れたそんな山歩きでした。



何はともあれ、カラッチが無事歩き通したことが良かったよ! by カケス
最後まで見て下さって有難うございました。


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