<
京都の奥座敷 
芹生の里(せりょうのさと)・貴船・鞍馬山
(570m)

2008年5月9日 (金)   


後編(貴船神社~鞍馬山)

地図検索

芹生の里で沢山のお花と出逢い、
芹生の里から貴船まで歩いた我がワンゲル会の面々・・・
車道沿いの杉林に一面に咲くシャガの花に一斉に感動の声をあげましたよ!
こんなに一面に咲くシャガなんて初めて見ました。



これより貴船神社を巡って、鞍馬山に登ります。
貴船神社は、皇母玉依姫(神武天皇の母)が淀川、鴨川を遡って
水源を求めて黄船に乗り、現在の奥宮の地に至ったところ、川の中から霊泉が吹き上げていたそうです。
そこに水神を感得して一宇の祠を造ったのが、貴船神社ご創建の始まりと言われています。
平安時代には雨乞いの社として広く信仰されました。


貴船神社に向かう途中、立派なカツラの木がありました。
本宮の石段を上り詰めた左手にも、本宮の御神木となっているカツラの木があるそうですが・・・
ここの大カツラは、まるで天を突くようにスクッと伸び・・・
おりしも新緑の若々しい新芽が広がって、何だかとっても清々しい気持ちにさせてくれました。
またこのカツラの木と隣り合うように姿形の良いトチノキもありましたよ!
側には、コケイランがひっそり咲いていました。



貴船観光の方達で足の弱い方等は、
鞍馬寺の仁王門を上がり、普明殿からケーブルカーで多宝塔まで登って本殿金堂まで歩き
鞍馬山から下りて、貴船神社・二の門から貴船神社→結社(ゆいのやしろ)→奥宮と
歩かれるようですが、私達はその反対コースで歩きました。
尚ケーブルカーは、お寺に100円の寄付金を納めた人が無料で乗車出来るそうです。
もちろん我々は山登りの会ですので、奥宮から貴船神社に向かって下流の方に歩き
貴船神社から鞍馬山に登りましたよ~(^^;

大きなカツラの木からしばらく歩き・・・
朱色の小さな山門をくぐり・・・奥宮に入ります!



奥宮(おくみや)は・・・元は本宮だったそうですが、幾つかの社殿が建ち、
大きな杉の木に囲まれ、空気は清々しく
ひっそりと佇む奥宮に、なんだか心洗われる感じがしました。
平安時代中期に貴船川の氾濫により、現在の地に遷されたそうです。
古くは黄船、木船、貴布祢とも書かれていたようで、
今の貴船となったのは、明治 4年と比較的新しいのだとか・・・
数々の伝説が残っている奥宮ですが、
中でも、奥宮の本殿下には竜穴があるそうですが
御神体のような神聖なものですから誰も見ることは出来ません。
昔、本殿修理の時に誤って竜穴に大工がノミを落としたところ、
にわかに嵐が起こり、ノミを
空中に吹き上げたそうです。

玉依姫が乗って きた船を石で囲んで隠したと伝わる船形石がありました。
船形石は安全航海にご利益があるとかで、
周りの小石三つを携帯していると航海、旅行の安全にもなると言われています。


朱色の門の外には、カラッチの身長の3倍はあろうかと思えるような
大きな杉の木が立ち並び樹齢は700~1000年位ありそうでしたよ。
この奥宮の参道の杉に、藁人形を打ちつける丑の刻参りもされていたそうですよ~
怖ぁ~ (ーー;)



杉の参道が並ぶ奥宮から少し歩いた所に、相生の杉がありました。
なんでも高さ・・・約35m、幹周は・・・9.6mもあるそうです。
この相生の杉、二本の杉が根元で一緒になっているそうで、
相生は・・・相老いに通じることから、夫婦共々長生きの象徴と親しまれてきました。
カケスとカラッチもあやかりたいと手を合わせましたよ~(笑)


同じ根から生えた二本の杉の大木 寄り添う・・・相生の大杉

相生の杉から貴船の川沿いの道をゆっくり歩いて行くと
山側の小高いところに、結社(ゆいのやしろ)がありました。
結社(ゆいのやしろ)は、本宮と奥宮の中間にあるため中宮(なかみや)ともよばれています。
御祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)だそうです。


結社(ゆいのやしろ)

貴船神社本宮より上流300メートル、山側の小高い地にあり 
本宮と奥宮の中間にあるため中宮(なかみや)
とも呼ばれています

古くから縁結びの神様として
霊験あらたかだと貴族から庶民に至るまで
大勢の人々がお参りしたそうです

平安時代の有名な女流歌人・和泉式部(いずみしきぶ)は
夫の心変わりに悩んで貴船にお参りし、
貴船川に飛ぶ螢を見て、切ない心情を
  「物思へば沢の螢も我が身よりあくがれ出ずる玉かとぞ見る」 
との歌に託して祈願されたそうです
すると・・・社殿の中から貴船の神様
奥山にたぎりておつる滝つせの玉散るばかり物な思ひそ
と慰めの返歌をされ・・・
夫婦仲がもとのように円満に戻ったということです
(貴船神社HPより抜粋)

貴船川は、全長約3kmある、鴨川・淀川の源流の一つで、
初夏には源氏蛍が乱舞し、鮎・岩魚・虹鱒などの川魚が泳ぐ清らかな川で・・・
その川岸には、川床料理店が立ち並んでいましたよ!
こんな処で頂く「冷やしそうめん」は、格別な味なのでしょうか~



川面に手が届くほどのところに設けられた床で頂く・・・川床料理
貴船の夏の風物詩となっているそうで~す!
なんでもこの川床料理、お昼の定食でも3500円から5000円だそうで
カラッチ達、もちろん眺めて通っただけですよ~んσ(‐_‐)
と言っても今の時期、まだ何処のお店も川床を組み立てる作業をしていました。
( ¨)¨)¨) エッ 開店していたら入ってましたか? ですって~
\(^^:;)...マアマア 聞かないでね~ん!


づらっとっ料亭街・・・ ( On Mouse)・・・で川床の様子

貴船川に沿った道の両側には、お茶屋さんとか料亭が立ち並んでしましたよ!
いつの日かカラッチも、
こんな風流な処で優雅に食事を頂いてみたいものですぅ~

さてさて、やっと貴船神社参道に着きましたよ!
こちらからは裏参道になるのでしょうか~
赤い鳥居をくぐり、山門を上がっていくと神社が見えてきました。



貴船神社 は・・・
鴨川の水源地にあるため、古来より水の神様として崇敬をあつめる神社で、
1600年昔の反正天皇の御代に創建されたと伝えられています。
御祭神は、高龗神(たかおかみのかみ)が祀られています。
一般にたかおかみのかみは、水の神とされていますが、雨をともなう龍神としての信仰があり、
特に雨乞いの神として崇められてきました。
また貴船の神は、「開運の神・諸願成就の神」としても信仰されています。
貴船神社の「きふね」は、昔は「気生根」とも書かれ、
水は気の生ずる根源であり、生命の原動力である気が蘇ると、元気が出て運が開け、
願い事を成就できるという信仰だそうです。

貴船・鞍馬は、御所より丑寅(北東)の方角に当たり
丑寅は鬼門に当たり、常に悪魔がその方角より出入りすると考えられ
貴船神社も鞍馬寺も共に、悪魔の侵入を防ぐ皇都の守護として皇室の尊敬を受けていました。
貴船山に貴船の神が降って来られたのが、丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻で
また鞍馬寺が鑑禎上人によって開かれたのが、寅の月の寅の日の寅の刻だといわれています。

室町末期に書き写されたお伽草子・・・『貴船の物語』の中に
内裏の扇合せにふと見た女房の絵姿に恋をした中将が、
鞍馬の奥の岩穴から鬼国に至り、天女にも勝るかと思われる美しい鬼の姫宮と出会う。
姫の父・鬼の大王が責めるので、姫は中将を守り、命を捨てる。
そののち姫は、中将の伯母の娘に生まれ変る。
鬼は節分の夜に二人を襲うが、鞍馬の毘沙門の示現(霊言)で炒り豆を打って退け、
さらに五節句を営んで鬼軍を追う。
二人は幸せに暮らすが、やがて姫は貴船の大明神となり、
中将はまろうど神となって、共に衆生を守ることになったとあるそうです。
節分行事と五節句は・・・貴船神社と鞍馬寺が始まりだと言う説もあるそうですよ!

(お伽草子より、貴船神社宮司が訳されたものを抜粋させて頂きました)



また貴船神社は、絵馬発祥の地でもあるそうです!
古来より雨乞の社として名高い貴船神社には、
畏くも歴代天皇様より日照りには黒馬、
長雨には白馬又は赤馬をその都度献げて、御祈願される慣わしになっていました。
しかし、時には生馬に換えて「板立馬」を奉納したと・・・
平安時代の文献である「類聚符宣抄」は、伝えています。
この「板立馬」こそ、今日の絵馬の原形と言われています。

かつて和泉式部が復縁を、平定重が蔵人昇任を、大宮人が加茂競馬の必勝を、
そして源義経が源氏再興を、それぞれ大神様に祈ったと言うことです。
こうしたことにより・・・
一枚の絵馬に託して、祈願する習慣が広まったのでしょ~


水占(みずうら)みくじ・・・( On Mouse 御神水

貴船神社は水の神様であることから、
境内の霊泉に浮かべると水の霊力によって文字が浮かんで見えてくるおみくじがあります。
水占(みずうら)みくじ・・・と言うそうですよ!
水に浮かべる前には文字が見えないので、
他の神社のおみくじのようにくじを引いて番号を言うのではなく、
箱の中から好きな1枚を選ぶようになっています。
尚、おみくじが乾くと再び文字が見えなくなります。
なんでも水の霊力によって、文字が浮かんで見える占いのようです。
おみくじは・・・1枚 200円でしたよ!
水の神を祀る貴船神社らしいおみくじですよね!

また、本宮の社殿前の石垣からこんこんとあふれ出ている御神水は・・・
聖なる山・貴船山より湧き出しています。
神さまの御神気が籠もっていてありがたい」と、全国から多くの人が水を汲みに来られるそうです。
全国に名水といわれる湧水はたくさんありますが、貴船の水は日本のルルドの泉と言われています。

ルルドの泉とは、フランス南部にあるキリスト教ゆかりの聖なる泉で、
そこの泉の水を飲み、水浴することで病気が治るということで、世界的に有名な霊場になっています。




貴船神社の山門から春日灯篭の参道が・・・一幅の絵巻のようでした!

貴船神社の春日灯篭 貴船神社・・・二の鳥居

本来ならば貴船川に沿って遡り、この二の鳥居をくぐり
春日灯篭のあるこの階段を登って貴船神社にお参りするのでしょう~
木漏れ日を浴びながら、杉や檜木の茂る川沿いを
楽しみながら歩いて行くと、鞍馬寺西門(→)と書かれた赤い橋に出ました。
これより入山料を払って「鞍馬弘教総本山・鞍馬山」に登ります。
愛山費、200円を払って入山します。
このルートは・・・かつて牛若丸(源義経の幼名)が天狗との修行で走った道とされています。
山を一つ越えることになるので鞍馬側から登るより大変で、成人男性でも約1時間ほどかかるそうです!

鞍馬寺は・・・
宗派はもと天台宗に属したが、1949年以降独立して鞍馬弘教総本山となっている。    
山号は鞍馬山で・・・
開基(創立者)は、鑑真の高弟「鑑禎(がんてい)」とされている。
本尊は、寺では「尊天」と称している。
「尊天」とは・・・毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊の三身一体の本尊だそうです。
また鞍馬寺は、牛若丸が7歳から16歳まで修行した所です。
それではカラッチ達も、修行の道を歩きましょ~



鞍馬山への登りは、急な階段の連続でこのような階段がづっと続きます。
この鞍馬山は、2億数千年前~7千万年前の地質で成り立っているそうですよ!
そんな素晴らしい波動を発している霊山を
護法魔王尊としたのでしょうか~
そんなことを思い巡らせながら登っていると、何だか霊気を感じちゃいました。
だんだんと樹木が茂る山道になってきました。
登山道には、
藤の大きなツルが木に絡まって何かのオブジェのような雰囲気!
そうして二本の木がまるで・・・
カケスとカラッチのように寄り添い、支え合っているではありませんか~
命名・・・『カケスとカラッチの木』 (^∇^) キャハッ!




↑ このような芸術作品のような木とか・・・

カケスとカラッチのように寄り添い、支え合ってる木 →

 

しばらく登ってやっつと、奥の院・魔王殿に着いたようです。
貴船側にある西門から、この魔王殿まで結構長い距離を歩いきましたよ。
拝殿には、地上の創造と破壊をつかさどる天狗姿の魔王尊が祀られていました。
魔王尊とは、今から650万年前、金星から地上に降りてこられたサナト・クラマだそうです。
( ・_ ・)ん? 
何だかこの時代に宇宙に思いを馳せる壮大な話・・・




奥の院・魔王殿



こんな木の根が・・・延々と・・・

火山隆起の際、火成岩の熱で岩石が固くなり、
根が地下に伸ばせなくなった為らしい

鞍馬山は、二億六千年前に海底火山の隆起によって出来た山と言われ
地層が硬い為、地表に芽生えた杉の木の根は地面を這うように根を張るのだそうです。
この道を・・・「木の根道」といい
奥の院魔王殿から本殿まで木の根道が何箇所もあり、鞍馬山の名所となっています。

このあたりには、古くから天狗が住んでいました。
天狗とは、日本固有の山の神のひとつで修験道の山伏のような服装をし、
鼻が高くて顔が赤く、手足の爪が長くて翼があり、金剛杖・太刀・羽団扇を持っています。
神通力があり、空を自由に飛べるとも言われています。
中でもここ鞍馬の天狗は、「鞍馬天狗」として、小説や映画にもなりましたよね。
源義経(牛若丸)は、若い頃この鞍馬寺に預けられていました。
このあたりの木の根道というところで、毎夜、天狗に指導されて剣術の修行をしたそうです。
こんなところで修行したので義経は、
八艘飛びなどという離れ業を身につけたのでしょうか~

義経堂・・・( On Mouse 東京荻窪にあった、与謝野晶子の書斎を移築した・・・冬柏亭

義経は、奥州・衣川で若い命を散らせましたが、
御魂は、なつかしい鞍馬山に戻り、
遮那王尊として護法魔王尊にお仕えしていると信じられ、ここ義経堂にお祀りしてあります。
左上の画像の向かって左の木の柵の中には、「背比べ石」がありました。
その昔、牛若丸が16歳でこの地を去るとき、名残惜しんで背比べをしたという石だそうです。
牛若丸が東光坊から奥の院へ兵法の修行に通う途中、
この清水(左上の画像に On Mouseを汲んで喉の渇きをうるおしたとも伝えられています。




本殿金堂に歩く途中からの眺め・・・正面は比叡山か?

本殿金堂」には、国宝の「毘沙門天三尊像」や
重要文化財の「吉祥天」など、歴史的な仏像も数多く安置されています。
 ちなみに、鞍馬寺では仏像が安置されている建物を本堂や金堂という言葉を使わず
「本殿金堂」と言う神仏が混在した名称で呼んでいます。

「本殿金堂」
に祀られている本尊は、「尊天」と言われています。
「尊天」は、月輪の精霊であり慈愛の象徴である「千手観世音菩薩」、
太陽の精霊であり光の象徴である「毘沙門天王」、大地の霊王であり活力の象徴である「護法魔王尊」の
三身を一体としたものだそうです。
尊天は森羅万象あらゆるものの根源、宇宙エネルギーであり、真理そのものであると言う!
本殿金堂の前に、翔雲台があり、
ここに平安京の擁護授福の為、本尊が光臨した場所とされています。


本殿金堂.
本殿金堂から下る途中の景色



牛若丸の守り本尊の地蔵尊を祀る・・・「川上地蔵堂」

これより、本殿金堂から由岐神社に下って、バスの待つ鞍馬仁王門に向かって歩きます



由岐神社  ↑

←  由岐神社の御神木・・・大杉


由岐神社は・・・鞍馬の火祭りで有名です。
由岐大明神は、御所にお祀りされていましたが、
御遷宮の時、京の鴨川に生えていた葦で松明を造り、道々には篝火を焚き神道具を先頭に
お迎えしたという故事によるものだそうです。
毎年10月22日の夜、氏子が大松明を焚いて練り歩く壮大なお祭りで・・・
若者たちの気合の入った囃子言葉「サイレイ、サイリョウ」の声が響き渡り、
松明から上がる炎に町中が照らされるそうですよ!。

由岐神社の拝殿は
中央に通路をとった割拝殿という珍しい拝殿で、桃山時代の代表的建造物であり
現在は、国の重要文化財にも指定されています。
由岐神社は、鞍馬寺門前の産土神で鞍馬寺の鎮守社であり、
大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこのみこと)、八所大明神(はっしょだいみょうじん)が
祭神として祀られています。



鞍馬寺仁王門

鞍馬寺は、平安期以前に開山された古寺だそうですが
延暦十五年に貴船明神のお告げによって、藤原伊勢人が堂宇を建立したと伝えられています。

鞍馬寺に書いてありました!
天からの贈りもの
『花も鳥も虫もきのこも、自然はみんな、天からの贈りもの。
   目を凝らして見つめると、そこには天の心が輝いている。
美しい姿、素晴らしい智慧、活力に満ちた生命。
   何気なく見すごす小さな生命。
けれども そこには宇宙もいのちがある。
宇宙のこころが生きている。』

鞍馬山を歩いて、凄く元気とパワーを頂きました。
鞍馬に下りて来て、鞍馬の隠れ湯・・・峰麓湯にゆっくり浸かりました。
(大人一人・・・1100円)
杉木立に囲まれた大自然の中の天然硫黄泉に浸かり
鞍馬天狗のことに思いを馳せてみるのもオツなものでしたよ!
温泉からの帰り道・・・
山椒を使った佃煮「木の芽煮」などをお土産に買って帰りました。



 鞍馬の隠れ湯・・・峰麓湯  ( On Mouse

前編・・・芹生の里~貴船レポ・・・に戻る

inserted by FC2 system