西赤石山(1626.1m)東赤石山(1706.6m)縦走


日  時    2003年10月21日 〜 22日
天  候    21日(雨のち晴れ)22日(快晴)


今回は、アッシーズという山用品店主催の山登りに参加しました。
四国(愛媛県)の別子銅山跡から展望の良い西赤石山(1621.6m)を経て
岩峰の東赤石山(1706.6m)へと変化に富んだコースを縦走。

赤石山系は、標高が1500m〜1700m級の山が連峰を形成し、
主峰東赤石山(1706.6m)を中心に、西は物住頭(1634.3m)・西赤石山(1626.1m)
銅山峰(1294.0m)・西山(1428.7m)・東は権現山(1593.0m)・エビラ山(1635.9m)
黒岳(1635.9m)・二ツ岳(1647.3m)・ハネヅル山(1282.1m)があります。
赤石山系のすぐ北側には海岸線が迫っていて、
1500m以上の連峰がこのように海岸に近いのは、日本でも例を見ないそうです。
また高山植物の宝庫であり標高が低いにもかかわらず、
ツガザクラやアカモノの大群落が形成されています。


地図リンク



赤石山系と旧別子銅山については、こちらをご覧下さい。


コースタイム ※ コースタイムについては、専門書を参考に行動して下さい
日浦登山口(9:50)―→ダイアモンド水(10:53)―→銅山越え(11:43)―→(11:50)歓喜抗(12:06)
西山・西赤石分岐(12:24)―→物住頭トラバース(14;04)―→(14:09)西赤石山山頂(昼食)(14:40)
―→赤石山荘(16:30)・・・

赤石山荘(7:35)―→八巻山頂(8:43)―→(9:24)東赤石山頂(9:30)―→(9:40)東赤石三角点(9:52)
―→赤石山荘・東赤石山・瀬場分岐(10:07)―→瀬場谷分岐(12:33)―→筏津登山口着(13:38)


雨の中、因島大橋を渡って・・・(6:48) カッパを着込んで出発 (9:47)
登山道脇にはトイレと駐車場あり
旧別子銅山跡入り口より入山 (9:50)
(向かって左方向)


日浦登山口に案内図があり、旧別子銅山の遺跡群が詳細に紹介されている。
道路脇には駐車場(7.8台可)やトイレが整備されていた。
 銅山越えを挟んだ南北の登山ルートには、今なお別子銅山の遺跡がひっそりと眠っている。
 遺跡の一つ一つに300年近く続いた銅山の歴史が刻まれ、
当時ここで暮らす人達の営みに思いをはせながら歩いた。



案内図横の木の階段から入山 この煉瓦塀跡は、
別子銅山を訪れた要人の宿泊や接待に
利用されていた接待館跡だとか・・・
1000人収容したという劇場跡、
立派な石組みに唖然とする
(10:35)
ダイアモンド水
1951年鉱脈を探すためのボーリング調査を
したところ、地下80mの深さで水脈に出合い
以来その水が自噴し続けている。
工業用ダイヤモンドを散りばめたロッドの先端が
回収できずに地下に残っていることから
この名前がついたそうだ。
この湧き水は登山者の重要な飲み水なのだ。

休憩所・トイレも反対側に設置されている
ここで休憩・・・(10:54)
この先、八巻山直下の
赤石山荘まで水場は無い。
滾々と湧き出る・ダイアモンド水


案内図横の木の階段から入山し、足谷川の沢沿いを緩やかに登る。
しばらく歩き、小足谷に架かる橋を渡ると林の中に煉瓦塀が見えてくる。
明治初年から大正5年まで要人の宿泊や接待に使われた「接待館跡」そうだ。
この辺りから小学校跡、1000人収容したという劇場跡の石積み等が次々と現れる。
壮大な石積みと石畳の階段が、いにしえの栄華を物語っていました。
劇場は明治22年に建てられ、毎年5月の山神祭の3日間は、
歌舞伎の名優を京都から呼んで、日頃銅山で働く人達を楽しませたと言う。

足谷川本流に架かる橋を渡ると、休息所のある「
ダイヤモンド水」に辿り着いた。
この湧き水のお陰でいつもより荷物が軽く、足取りも軽く登れた。
我々も早速ペットボトルに汲み、西赤石山を目指した。
雨もほとんど上がり、空がだんだん明るくなり軽快に登って行く。





歓喜坑跡 (11:50)
今は紅葉の綺麗な渓谷美だが・・・  別子銅山発祥の記念すべき最初の坑道 蘭塔場
銅山越え(11:27) 西山と西赤石・東赤石分岐 (12:20) 右の道を進んで西赤石山に・・・ (12:25)


橋を二つ渡り、三つ目の鉄橋を右岸に進み・・・日出度町跡、途中の岩山の頂きの蘭塔場を見ながら左岸道に合流する。
この蘭塔場は、災害による鉱山労働者の埋葬などに使われたものだそうだ。

目出度町と木方との間には足谷川を挟んで多くの橋や暗渠があり
両見谷に続いて見花谷の下部の樹林の中には、鉱夫の住宅が密集して建てられていたそうだが、
明治32年の台風で 見花谷の部落は山津波によって、下の川に流され513名もの死者が出たという。。

ここからほど近い急坂にかかると、別子銅山最初の坑道である
歓喜坑、歓東坑が見えてくる。
元禄3年(1690)坑夫長兵衛により嶺南に有望な露頭のあることを知らされた
備中国(岡山県)の住友家経営吉岡銅山の支配人田向重右衛門らは、 苦心して山中を調査し
この付近で見事な鉱脈を探し当て翌元禄4年幕府の許可を得て9月22日に採鉱を開始した。
人々はこの人跡稀な山中において、抱き合って歓喜し開鉱を祝ったところから、こう名づけられた。

歓喜抗を見て牛馬道を折り返し、ほどなくして銅山越えに着いた。
銅山越から西山に登り、これから縦走する西赤石山、東赤石山の秀麗な姿を見て・・・
コの字型の石垣に囲まれたお地蔵さんに無事登山を祈り、その側にある尾根に通じる道を経て西赤石を目指す。


 
西山から・・・西赤石山 この辺りの紅葉が一番綺麗でした
 

この辺りの道は、変化に富んでいて、振り返ってみると木々の紅葉が疲れを癒してくれた。


振り返って紅葉が見事!! 西赤石山頂(1626m)
今回参加した11名 (14:20)
今夜の宿・赤石山荘に向けて
物住頭(1634.3m)の岩場・・・(15:20) 下を見たら怖い!! (16:05) 物住頭・岩峰の南側をトラバース




明日歩く予定の八巻山(手前)・東赤石(重なるように後ろに)


今夜の宿「赤石山荘」 (16:50)
基本的には泊まるだけで食事は持参
各自持ってきたもので夕食
を済ませる
翌朝、八巻山に登る途中からの
赤石山荘 (8:14)

今夜の宿「赤石山荘」に到着。
ここ赤石山荘は、普段は無人らしいが・・・
予約すると管理人さんが麓から上がって来て下さるそうだ。

翌朝8時八巻山を目指して登る。
実は、今朝6時 miya ちゃんと二人で朝日を拝もうと、
八巻山に登ったが残念ながらガスってしまった。
赤石山荘から八巻山までは、岩場の連続でちょっとしたアルプス並みであった。
八巻山の山頂には、八巻大権現の祠(ステンレス製)が設置され、
ここからの眺望は、四国の山々が見渡せて最高だった !!



八巻をしたような大岩 (8:27)
アルプス並みの岩場 急登は手と足を使って・・・
八巻山(1682m)大権現から素晴らしい眺望
(8:43)
東赤石山を目指して・・・(9:13) 岩場の間に四国の山並みが見える


赤石山系の最高峰・東赤石山は、蛇紋岩系の橄欖岩(かんらんがん)が露出した岩峰。
橄欖岩の表面は酸化して赤褐色になっていて、それが「赤石」名の由来だそうです。
また地底数10kmから隆起したエクロジャイトと言う岩石は、世界的に希少なものだとか・・・

東赤石山頂から10分程行った先に三角点があった。
ここからの眺めは遮るものが無くて、360度の大展望だった。
何時までも眺めていたいほど、四国の山々が素晴らしい !!
雲海が浮かんでちょっと山座同定が難しい〜
一番下の写真の左上方に、薄っらと三嶺(みうね)・剣山が見えているとか・・・



東赤石山頂上(1707m) (9:37) 東赤石山三角点のある場所 (9:45) 雲海に浮かぶ山々



美しい四国の山並み



下りは(10:05)、筏津に向けて瀬場谷コース(直登ルート)を下る。
瀬場谷分岐(12;33)
紅葉の中、沢沿いを下るので樹間の中にいろいろ滝が見れた。
その中でも見事な滝が八間滝だ。
水量も多く見ごたえ十分だった。
残念ながらデジカメの電池切れのため、写真を写せなかった。
紅葉を楽しみながら、沢沿いに筏津登山口(13;38)に到着。 
東赤石から筏津までの下りは結構長かったけど、深い森の中・・・趣のある道だった !!


帰りに「マイントピア別子」に立ち寄り(15:10)お風呂(入浴料800円)に入る。
ここは、「別子銅山採鉱本部」があった所だそうだ。
施設の前に背負子を担いだ「仲持(なかもち)さん」の銅像がありました。
(※ 仲持さんとは鉱石などを運ぶ人のこと)



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