男 体 山 (2484m) 日 時 2003年6月2日 快 晴 地図リンク 男体山は、日光火山群の一峰として2万年程前に噴火活動を始めたコニーデ火山なのだそうだ! その活動最盛期に噴出した溶岩流が大谷川(だいやがわ)を堰き止めてできたのが中禅寺湖で、 火砕流の一部は戦場ヶ原を埋めたという。 その中禅寺湖の領有をめぐる争いについては、奥白根山で書きましたが・・・ その時戦った赤城山の神は大ムカデ、二荒山(ふたらさん)の神は大蛇となって 何度も戦ったが、ムカデの勢いが強く大蛇軍は連敗し、追い込まれた決戦場で 助っ人の小野猿丸が大ムカデの左眼を弓矢で射通し、ようやく戦いに勝った。 その戦った場所が戦場ヶ原で流れた血で出来たのが赤沼なのだそうだ! 逃げ帰った大ムカデの血で染まったのが赤城山の言われだという。 男体山は、日輪崇拝の山として下野の農民たちにとって大切な守護神であった。 男体、女峰、太郎などの親子神として親しまれる存在であったという。 日光修練の山伏たちは、春・夏・冬と年3回の回峰行を行った。 特に、夏は8月13日から25日まで赤薙山(あかなぎさん)から女峰山、小真名子、大真名子、男体山と 駆け歩く荒行で、水を飲むことも許されぬほどの厳しさであったという。 男体山だけでも喘ぎながら登る我々に比べて、何という荒行であったことか想像を絶する。 昨夜泊まったレークイン日光で朝食を済ませバスで中禅寺湖北岸の二荒山神社に到着。 二荒山(ふたらさん)神社中宮の参道を進み社務所で登拝料(初穂料)500円を払うとお守りをくれた。 正面には直ぐ登拝口があり、ここからいよいよ男体山に登ることになる。 一合目から三合目は、樹林の中の階段を登ってゆく。この最初の登りが結構きつい。 三合目で休憩、ここから四合目までは工事用道路を登り、四合目の鳥居をくぐるとここからは登山道だ!
6合目を過ぎたあたりから薙をよぎったりしながら凄い岩の露出した道を進む。 下の方に中禅寺湖が見え、この辺りはシロヤシオ(ゴヨウツツジ)が沢山咲いていた。 シロヤシオは、「愛子内親王殿下」のお印で、登頂記念バッチもありました。 勿論、買ってきましたよ!! やがて7合目の避難小屋辺りの急な岩場を登ると、小さな鳥居が現れこの鳥居をくぐると直ぐに8合目にでた。 ここには瀧尾神社があり、ご神体も祭ってあり避難小屋もあった。 ここから見る中禅寺湖の眺めは、最高だった! 浸食ネットを張った溝の縁を歩き、丸太の階段道にさしかかると九合目の立派な標識があった。
九合目も過ぎると階段と火山礫のザレ場の道となり、最後の鳥居をくぐると山頂である。 昨日登った奥白根山がくっきりと現れ、右へ眼をやれば尾瀬燧ヶ岳もハッキリ分かる。 前白根に隠れていた奥白根も頭を出しているではないか〜 素晴らしい眺めに、足取りも軽く頂上を目指す。
山頂には二荒山大神像が立っている。 山頂から少し離れたところに山頂のお宮があり、宝剣が突き刺さっていた。 男体山山頂は、果てしなく澄み渡った青空だ!! 自分の足で登ってきた者だけに与えられる至福の時を過ごす。 左より奥白根山(日光白根山)、至仏山から右へ燧ヶ岳、さらに会津駒ケ岳も見える
山頂でゆっくり昼食を食べて、記念写真を撮ったりしながらゆったりした時間を過ごす。 登る途中で声をかけて下さった埼玉の健脚な方達と山頂で会いました。 増子さ〜ん、HP見て下さっていますか〜
何処の湖もその側にそびえ立つ山により生きているが、中禅寺湖と男体山ほど溶け合って 秀麗雄大な景色は、他にはないのではないだろうか〜 日光修練の山伏たちの荒行には敵わないが、二荒山神社から標高差1200mを登る男体山は なかなかきつい山だった!! 裏側の志津峠からは標高差700mほどなので、今では裏コースも賑わっているとか・・・ 山頂には、直径800mの噴火口があり、北側が崩壊している。 「男体山の山頂からの風景を見ずして、結構と言うなかれ」と言いたい程の 満足感いっぱいの登山であった!! 湯滝から竜頭滝までの戦場ヶ原自然研究路散策 奥白根山・・・レポ |