箕面大滝・勝尾寺古参道コース散策 日 時 2003年11月16日(日) 晴れ 紅葉のベストシーズンに箕面の滝から勝尾寺を散策しようと我々山登りの会で 明治の森箕面国定公園の箕面滝、西国23番札所として知られる勝尾寺からの旧参道に残る 日本最古の町石(勝尾寺から粟生新家までの距離を示す石標)を辿って歩きながら・・・ 自然の織りなす錦絵の古参道を思う存分楽しんできました。 明治の森箕面国定公園は、明治4年に箕面寺(瀧安寺)境内以外の寺領と山林は国有化され、 我国初めての「公園地」の指定となったそうだ。 ゆるやかな散策路の両側には、名物の「もみじのてんぷら」等のみやげもの屋が並んでいる。 滝道を観光ボランティアの方の説明に耳を傾けながら、散策して行く。 滝道には一の橋、ツツジ原・紅葉橋・二の橋・化石谷・落合谷・天狗鼻・修行の古場・唐人戻り岩・ 望海ガ丘・地獄谷・極楽谷・雲隣台・杉の茶屋・大日峠トンネル・千本坂・政の茶屋などの名がつけられている。 ここ箕面は約5300本もの、もみじが色づき、訪れる人は年間140万人といわれる。
道沿いにはには森秀次銅像・野口英世銅像・頼山陽詩碑・夜半滝前句碑・泊月句碑・虫供養碑・筆塚などがあり、 中でも・・・野口英世は十五年間の米国留学から帰国したとき、この地に母を伴って訪ね、 博士、自ら箸をとって料理を母の口に運び人目を憚ることもなく、懸命に母に給仕することに余念がなかった。 そんな野口英世の姿に周りの人達は心打たれた、この話を聞いた宿の女将の妹達により像が建立された由! (2004年から発行される新しい1000円札には野口英世の肖像が用いられる) 龍安寺(箕面寺)は、役の行者が白雉3年(652)に開いたと伝えられ、 その後、聖の住む山・霊地として即身成仏の修行場・修験道場となり、空海・法然など諸僧が訪れている。 正月に、ここで行なわれる富くじは、我国最古といわれ宝くじのルーツだそうだ。 唐人戻り岩は、唐人(中国人)が滝見物に来て山道の険しさにここで引き返したという伝説がある。 落差33メートルもある「箕面大滝」は、日本の滝100選の1つとなっている。 滝の周りには大勢の観光客でごった返していた。
箕面の山が紅葉のシンフォニーを奏でていた 箕面滝から勝尾寺までの東海自然歩道は、とっても足に優しい良い道でした。 ここが東海自然歩道の西の起点 となっている。 明治4年に東京の高雄と大阪の箕面とが、我が国最初の公園地となり、昭和42年に(明治百年記念事業として) この2つが明治の森国定公園となり、2つを結び東海自然歩道が作られたのだそうだ。
ここ勝尾寺は、勝尾寺川の最上流に位置し、山門や多宝塔、本堂、薬師堂などが 山林の中に点在し、一幅の絵を見ているようでした。 紅葉のベストシーズンには、全山が錦絵となり紅葉のシンフォニーを奏でることでしょう〜
西国街道の石造の大鳥居から、旧参道に沿って山門までは、 町石・・・【1町(約109m)ごとに山門までの距離を示す標識】が36基作られていた由 町石の多くは若干の破損があり、一町と二町は完全な形で残っているそうだ。 勝尾寺古参道も、なかなか趣のある道でした。
また西国街道は、市街地も通っていて 赤穂浪士で有名な萱野三平邸(かやのさんぺいてい)の長屋門に建てられた涓泉亭(けんせいてい)があり、 ここを拠点に箕面道や勝尾寺道を歩いて歴史街道の散策をすることも出来るそうです。 この度初めて箕面を訪れたが、つい先程まで阪急梅田駅にいたことを忘れる程の 深山幽谷の雰囲気の滝道を歩いてみて・・・ 何時かまた紅葉の真っ盛りに訪れて、紅葉の交響曲に酔いしれてみたいと思った。 |