河 平 連 山 555.2m

2013年10月20日 (日) のち

山の会から広島県佐伯郡大野町に位置する河平連山に登ってきました。
大竹市玖波の奥、傘山と渡の瀬ダムの間にある小さな八つの峰からなる花崗岩の美しい山です。
大正12年、日本軍の飛行機がこの峰に激突し、殉職した記念碑が建立され
それ以来飛行機山と称されて、戦前まで慰霊登山が行われていました。
平成5年、大竹市歴史研究会の人と、地元松ケ原町の住民が
一年余りかけて道を切り開き、道標・案内板を設置してハイキングコースとして開発され、
多くの市民や登山者に親しまれています。



山陽道の大竹インターを下りて国道2号を進み
新恵川橋北の信号を左折、県道42号に入り、踏切を渡ると左手に行者山が見えてきます。 
更に県道を進み松ヶ原町に入ると農協の手前に河平連山登山口の標識があります。

右手に峠の茶屋を見て更に舗装道路を進み、分岐を右に取り広い林道のような道に入ると
右手に「河平連山(飛行機山)登山口」の標識があり、
小さな沢を渡り少し歩くと、「飛行機山登り口」の案内標識・・・@があります。
(※ 画像の中下の番号と照らし合わせてご覧下さい)

河平連山登山口 @ こんな標識が出てきました!
岩砲を見上げる これが天狗岩だそうです!
唯一咲いていた花・・・ A 0号峰〜1号峰へ・・・

この辺りから俳句の会の方の句でしょうか〜 沢山の俳句が掲げてありました。
樹幹越しに大きな岩が見えてきました。
明るい登山道を快適に進み、0号・1号峰と2号〜8号峰の分岐の鞍部・・・Aに到着しました。
低山ですが、こんなアップダウンもあり結構なトレーニングになります。
馬ケ峠から急坂の登りとなりました。

花崗岩の登り B 大岩に沿って登る C シダの道を登る

0号峰に向かう途中の分岐に浅田大尉記念碑の標識がありました。
標識に従って右の急坂を下りて行くと、浅田砲兵大尉殉職記念之碑が建っていました。
大正12年7月7日、福岡県御太刀洗飛行場を発進した乙式一型偵察機が、
広島に着陸寸前方向を誤り、河平山0号峰の岩壁に激突、殉職した浅田砲兵大尉の記念碑です。


記念碑の分岐標識まで戻って、1号峰に向かって登って行きます。
左手に大きな岩を見て・・・B、この大岩に沿って登るとロープが渡され滑り易い道となりました。
シダの道・・・Cを超えると飛行機衝突岩の0号峰に到着!
こんな所に激突したのかと思っちゃいましたよ。

0号峰・・・この岩壁に激突したのか? 八畳岩

標識の先、更に岩峰が続きそのまま進んで行くと八畳岩に着きました。
八畳岩からの展望は素晴らしく、経小屋山、傘山、瓦小屋山、三倉岳などが見渡せました。
ちょっとガスっていて、三倉岳に雲がかかってきましたが・・・

中央の雲が買った三倉岳

やがて2号峰のある宮島の展望地の標識がありましたが・・・
今日は残念ながら、宮島の朱塗りの大鳥居は見えませんでした。 双眼鏡があれば見えたでしょ〜
縦走中、唯一宮島の大鳥居が見えるはずだったのに残念!!
2号峰から鞍部に下ると札木峠に着きました。
滑りやすい道を登り返し3号峰に向かう途中、マサ土の崩壊地・・・Dが左下にみえました。
こんな所を滑り落ちたら大怪我ではすまないですよね! クワバラクワバラ・・・

宮島の展望地 2号峰
札木峠 D・・・マサ土の崩壊地
3号峰 4号峰

3号峰を下って4号峰に向かう時、目の前に4号峰の岩峰が見えてワクワクします。
4号峰は水神釜と表示され、どうやらここで雨乞い信仰が行われていたようです。
岩の裏側にいくつかの窪みがあり、雨水を溜めていたのでしょ〜
まだ先があるので、この4号峰で昼食としました。
昼食後、直ぐ先の5号峰に向かいま〜す!
5号峰は河平山々頂(555.2m)三角点の標識があり、展望の良い所でした。

5号峰 6号峰・・・三原一望の地
7号峰 8号峰

5号峰から一旦下り、前方に6・7・8号峰を見ながら進みます。
眼下に渡ノ瀬ダム・・・Eが見えましたよ!
6号峰は一番の展望地のようで、遠くに西中国山地の山々、瀬戸の海、周坊大島も見渡せました。
赤土の肌をした7号峰から8号峰へと歩いて、8号峰からは激下りでした。



↑ E 渡ノ瀬ダム

樽川の三段滝 →


激下りが緩やかになった頃、鱒川の三段滝に出合い縦走は終わりました。
小さな滝でしたが、望遠で撮りました。

東登山口に下山!

尾道を出発する時は雨でしたが・・・
歩き始めると雨も上がり、曇り空ながらも久し振りにワンゲル会の皆さんと楽しい登山でした。
低山ながらアップダウンあり、稜線漫歩の縦走は楽しかった!!
下山後、宮浜温泉「べにまんさくの湯」にてゆっくり汗を流し帰路につきました。

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